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縷々道 生我 from fanbox
縷々道 生我

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『ヴィラン』という曲について

先日、記念配信にて『ヴィラン』の歌ってみたを投稿した。

今回は、この曲を歌う時に考えていたことを文章で深掘りしてみようと思う。


まず、『ヴィラン』はいわゆる『性乖離』が主題となっている曲である。曲中の語り部は、同性の友人である『君』に恋愛感情を抱いている。しかし、恐らく『君』は同性間の恋愛に理解がないのであろう。……正直、無理もないと思う。


インターネットコンテンツにどっぷりと浸かっている僕や君たちには実感が湧かないかもしれないが、『普通』を生きる人たちにとって『同性間の恋愛』は『普通のこと』ではない。


宗教によっては禁止している国もあるし、そうでなくとも一般的ではない。僕は、同性間の恋愛に差別意識など無いつもりだが、実際に同性の友人から恋愛感情を向けられてしまった場合、毅然と対応できる自信はない。


『最近は色々な人がいるから、自分が巻き込まれなければいいよ。』


これが、世間の大部分が持っている同性愛へのイメージだろう。


僕自身は、恋愛というものに限りなく無関心であり、パートナーが欲しいと思うこともほとんどない。人と関わることも、話すことも好きだが、それ以上に踏み込まれてしまうと、どのように対応していいかわからなくなってしまう。好意を向けられること自体が嫌なワケではないが、好意の見返りを求められると困ってしまうのである。


くだらない話は置いておいて、曲の話に戻ろう。


語り部は(恐らく)インターネットやテレビの画面越しに、世間から向けられる同性愛者への厳しい視線に対して、嘆き、叫ぶ。これが『顔も知らない誰かにとって、僕はもうヴィラン(悪党)』という歌詞に繋がってくるのだろう。


『君』への好意を募らせつつ、同性愛を許さない『世間』に対して嘆く。

これが『ヴィラン』という曲の本質だと思っている。


かと言って、『嘆き』を言葉にしてしまえば、自分の正体がバレてしまう。だから、ひたすら抽象的な言葉で自らの悲しみを歌い上げる。この曲は、『口に出せない言葉』を歌っている曲なんだ、と自分は解釈した。


だから、僕は曲の最初から最後に向けて、段々と音圧を上げるようにして歌っている。自らの思いを吐き出す内に、抑えきれなくなった感情の洪水が、心の臓から溢れてしまうようなイメージだ。


これが、およそ四年の間、この曲と向かい合った僕の解釈である。「これこそがヴィランの正当な解釈だ!」などと言うつもりはないが、一つの解答ではあると思う。


僕は、あまり歌うことに慣れていない。そのため、自分の考えていること・伝えたかったことを100%歌で伝えきる自信がない。


故に、このような文章を書いて、歌ってみたの補足とする。


ここまで読んでくれた皆々に、深い感謝を。





『ヴィラン』という曲について

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