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縷々道 生我 from fanbox
縷々道 生我

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9月に見た映画の感想

9/10 グエムル―漢江の怪物―


韓国のモンスター・パニック映画、以前FANBOXでも紹介した『パラサイト―半地下の家族―』と同じ監督の作品。日常に潜む闇を描いたパラサイトとは毛色が違う作品だが、内に込められたメッセージ性は共通した物があるように感じた。Amazon Primeにて視聴。


あらすじ:舞台は西暦2000年の韓国、駐在米軍基地の研究者が廃棄処理を怠って下水道に化学物質を流した。その結果、化学物質の影響で異常な大きさになった“怪物”が出現。漢江(川)付近を暴れ回る。そんな中、娘を怪物に連れ去られた主人公は、彼女を取り戻すために怪物に立ち向かうのであった。


怪物のデザインがすっっっごく好きだった。適度に恐ろしく、適度に気持ち悪く、適度に実在性がある。そんな怪物が尻尾を橋に巻き付けてぴよんぴよん飛び回ったり、水浴びしたりするのが非常に可愛らしい。怪物を『物語を作る為の装置』として据えるのではなく、映画の中で実際に生きているように見せるのって素敵だよね。


さて、この映画に込められたメッセージの話。この映画のメッセージは「米国(支配層)への批判」だと感じた。


本作では、駐在している米軍が化学物質を下水道に垂れ流した事によって怪物が出現する。また、その怪物を倒すために米軍は人体にも有害な高濃度の消毒液を街に散布する計画を立てて、住民の反対を押し切って実行した。


本作のアメリカ人は酷く愚かしく、事態を力技で解決しようとする団体だと描写されている。ネズミを殺すために家に火を放つように、道理を弁えない暴力を振りまく理不尽の化身として描かれているのだ。


韓国と米国の関係を知ると、そういった表現をされるのも納得する部分があるそうだが、僕は国際情勢に明るくないため特に意味は解らなかった。


その他特筆すべきは最後のバトルシーン。家庭内不和を乗り越えた家族たちが、一丸となって怪物に立ち向かう様は心を揺さぶられた。アーチャー妹が格好良すぎるんだよな。

9/15 ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険


ONE PIECEにドハマりしているのでAmazon Primeにて視聴。2003年の映画ってほとんど20年前だな……えっ20年前?


作中の反応を見るに、時系列はロビンが仲間になった直後の話。


あらすじ:金欠に悩む麦わらの一味は、航海の途中で立ち寄ったハンナバルという街で、『デッドエンド』と言う船のレースが行われていることを知る。ハンナバルからスタートしてパルティアという島を目指す海賊専用のレースで、優勝賞金はなんと3億円。しかし、このデッドエンドの裏では、ある計画が動いていて……と言う話。


あっと驚くどんでん返し!みたいなのはないけど、その分原作の展開に忠実な作品。ONE PIECEの本編エピソードにあっても違和感がない。アラバスタ編くらいまでの雰囲気が好きな人だったら十分に楽しめると思う。


また、直近の映画のように、過去シリーズのキャラがゲストで登場!という展開も特にない。麦わらの一味以外は映画のオリジナルキャラクターしか出てないんじゃないかな。登場キャラクター数が絞られている分、一人一人の内面を掘り下げる描写が多い印象だった。


一番好きなシーンは、自棄になって『自分なんて生きる価値がない!』と言い放った子供にナミが怒り散らかすシーン。


絶望に屈して命を粗末にしようとした子供の姿に、幼少期に育ての親を殺されてしまった後も、村の人を守るためにアーロンの下で働き続けた自分の境遇を重ねたのだろうか。ナミは子供に斬りかからんばかりに激怒していた。


確かに、村の人を守るためとはいえ、親の仇の下で“生きなければならなかった”ナミの境遇を思うと、命を軽視するような発言には黙っていられないよな。


麦わらの一味には、それぞれに過去があり、信念がある。舞台の上で輝く演者ではなく、その世界を懸命に“生きているキャラクター”の像を作るのが凄く上手だな、と改めて作者に尊敬の念を覚えた。


あとテーマソングがBUMP、この前マリるりがのカラオケ歌枠でも歌ったけど、『sailing day』本当にいい曲だよね。え、あれ?と言う事はsailing dayって20年前の曲なの……?え……?


これは余談なのだけれど、BUMPで一番歌詞が好きなのは『GO』と言う曲の【選ばれなくても選んだ未来】と言う歌詞。

9/19 ディナー・ラッシュ


2001年に公開された映画、ヒューマンドラマが見たくなりAmazon Primeにて視聴。類似映画に『シェフ(名作洋画)』があったので安心感があったというのもある。


あらすじ:イタリアにある四つ星レストラン『ジジーノ』は、連日満員御礼の人気店である。しかし、そこで働くスタッフは一癖も二癖もある人間揃い。ある日、オーナーのルイスは息子のウードへの世代交代を考えるのだが……。


レストランの経営、批評家との愛憎、借金まみれのシェフ、オーナーの世代交代、男女の関係、裏社会。わずか1時間半の間にこれだけのテーマを描き切れるのかと恐れ入った作品。


『ジジーノ』というレストランを舞台に、関係する人々の人生を描き出していく、いわゆる“グランド・ホテル形式”と言われるタイプの映画。小ぢんまりとした二階建てのレストランを、目まぐるしく関係性が交錯していく。


様々な立場の人物が登場する本作だが、中でも次期オーナーであるウードの、店を盛り立てるやり口が凄まじいなと感じた。


彼は辛口な女性批評家を店に招待して、全員に枕営業をかます事によって『ジジーノ』の評価を上げているのだ。彼に枕営業をかまされた女性は、彼を自分のモノにしたいので、他社よりジジーノを持ち上げようとする。結果、それだけ有名ならと人が来るようになる……あまりに恋愛強者過ぎて舌を巻く。


さて、この映画の一番の見所は、やはりラストシーンだろう。「これまでの物語は何だったんだ?」という衝撃的な展開が起きた後に「これまでの物語ってそういう事だったんだ……」という激しい納得感が訪れる。平凡と非凡の肯定差で3グッピーくらいは死んでしまった。


短い上映時間の中で、伏線を散りばめて回収する監督の手腕を如何なく見せつけられた素晴らしい映画だった。

9/21 劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇


2001年に公開された4作目のポケモン映画、キャッチコピーは「こんなポケモンに逢ってみたかった。」。Amazon Primeにて視聴。


あらすじ:自らを捕らえようとするハンターから逃れるため、40年前の世界からタイムスリップしてきたセレビィ、セレビィを守るために一緒にタイムスリップしてきた少年“ユキナリ”。主人公のサトシは二人と出会い交流を深めていくが、ロケット団のNo.2であるビシャスがセレビィを発見、その力を利用しようとセレビィを狙うのだった。


このビシャス、捕まえたポケモンを邪悪にするという謎テクノロジーを持ったボール『ダークボール』の使い手であり、劇中でも控えめな性格のバンギラスを一瞬で闇堕ちさせている。ビシャスの手から離れて森に帰った後もバンギラスの目付きが変わらなかった辺り、洗脳効果は余程根深いのだろう。


まあその前の劇場版でも『お前がママになるんだよ!』洗脳をしていたポケモンがいたし、洗脳自体はポケモン世界では割とメジャーな行いなのかもしれない。嫌すぎるだろ。


――以下ネタバレ――


オーキド博士の本名は、オーキド・ユキナリである。そう、40年前から来た少年“ユキナリ”は、何を隠そうオーキド博士の若い頃の姿なのだ。


この後、彼はポケモントレーナーとして四天王にも認められるような逸材になり、名実ともにポケモン世界で最も有名な博士になっていくのである。


ユキナリ少年がサトシのポケモンを見て『育て方が良い!』と褒めていたが、そもそもサトシにポケモンの育て方を教えたのは外ならぬオーキド博士であり、この頃からポケモンに対して真摯に接していた事が良くわかる。


本作のエンドロールでは、ケンジ(オーキド博士の助手)が研究所の掃除中にユキナリが持っていたスケッチを発見し、オーキド博士とユキナリが同一人物である事が示唆されて終わる。


ところで、本作は特別公開版にのみ追加されたエンディングが、歴代のポケモン映画でも屈指のエモさであると評判の作品である。


そのエンディングでは、1分ほどのシーン追加がなされている。


~~~~~


セレビィとユキナリが40年前に帰った後、サトシ達はテレビ電話でセレビィの事をオーキド博士に話していた。博士はいつも通り鷹揚にサトシ達の話を聞き、電話を切る。


その後、カスミが何かに気付いたように問いかける。


「あれ?そういえば博士、なんで伝えてないのにユキナリの事を知っていたんだろう?」


場面は変わってマサラタウンの研究所、博士は遠くを見つめて一言呟いた。


「今でも、昨日の事のように覚えておるよ。」


オーキド博士は、確かに覚えていた。40年前に自分が体験した一夏の冒険を。過去に現在が追い付くまで、胸の内に秘めていたのだ。


サトシとの出会いも、偶然では無かったのかもしれない。博士の胸中を思うと、胸がいっぱいになった。

9/22 英国王のスピーチ


この映画が凄くお勧め!と映画好きの魔族に言われたので、メンバー限定配信にて皆と同時視聴した作品。Amazon Primeにて視聴。


あらすじ:後天的な吃音症に悩むジョージ6世、彼は父親のように立派なスピーチが出来ないことを気に病んでいた。多くの言語療法士に掛かっても、彼の病が治ることはなかった。そんな折、彼はライオネルという言語療法士(闇医者)と出会う。彼の治療方法はこれまでの言語療法士とは大きく違う物で……という話。


ジョージ6世は第二次世界大戦の時代(1936年~1952年)を生きた実在の皇帝である。本作は実際のエピソードを基に作られた映画だ。彼を取り囲む環境には多少映画的な脚色が入っているが、彼自身のエピソードには嘘偽りがない。


本来なら交わることが無い程に身分の違う二人が、一つの目標のために手を取っていく姿に『最強のふたり』や『グリーンブック』に近い雰囲気を感じた。立場が違う者が衝突しながらも無二の親友になっていく作品にハズレ無し。


努力家で(短気だが)モラル意識の高いジョージと人を食ったような態度で型破りなライオネル、相容れない二人の歯車が、クライマックスに連れて気持ちよくハマっていくのも爽快。最後のスピーチを聞いた時、僕の中で一番表に出てきた感情は『歯車が回った気持ちよさ』だったように思う。


ジョージの他国のライバルが『アドルフ・ヒトラー』だったのも歴史のいたずらだな、と感じた。アドルフ・ヒトラーはご存知の通りスピーチの天才である。弱い個人を共同体感覚で変質させる事において、彼に勝るものは後にも先にもいないと言われるほどに。


『激情に身を任せ踊り狂い、うなるように叫ぶ人間であった。』

これは当時ヒトラーの演説に参加した作家の残したコメントだ。


ヒトラーが演劇のように人を魅せる指導者なら、ジョージは等身大の自分を出して人を魅せる指導者なのだろう。そのくらい、劇中の彼の成長は僕の胸を打つ物だった。

9/24 幸せなひとりぼっち


英国王のスピーチを経て、ヒューマンドラマを続けて見たくなりAmazon Primeにて視聴。……別にタイトルに共感した訳ではない。


あらすじ:愛する妻を亡くして以来、悲しみに満ちた人生を送っていた老人・オーヴェ。彼はある日、仕事をクビになったことをきっかけに自殺しようとする。しかし、その日オーヴェの隣の家にパルヴァネ一家が引っ越してくる。不躾で温かいパルヴァネ一家との交流を経て、頑固だったオーヴェの心も少しずつ開いていき……という話。


妻を亡くした老人が主人公の映画ということで、オーヴェの回想の描写が非常に多い。父親との思い出、近隣住人との確執、妻との出会い……彼の波乱に満ちた人生が随所に差し込まれ、現在における彼の行動に説得力を持たせている。


また、登場人物の好感度操作がすごく上手な映画だと感じた。映画の開始15分くらいはオーヴェのことを、いわゆる『老害』だと思ってしまうような描写が多く眉を顰めていた。だが、映画が進むにつれて、彼自身が人間的に成長していき、好感度が上がってくる。最終的には、彼の生き方を振り返ってみると、序盤の無体すら仕方がないのかな……と思えてくるまでになった。


オーヴェが関わる事になる近隣住民達は、揃いも揃って一癖ある人物である。その性質は決して露骨な善人には描かれない。だからこそ、お互いの理解を深め合う瞬間がより尊い物に思えるのだろう。衝突し、時には助け合い、また衝突し、不器用な態度で傷つけ合い、研がれに研がれた過程があったからこそ光るラストシーンにも注目。


これは僕の信条なのだけれど、世の中の人間は『良いだけの人もいなければ、悪いだけの人もいない』と思っている。この映画を見た後だと、他人を少しだけ許せるようになるかもしれない、と感じた。

9/26 ラストナイト・イン・ソーホー


友人にお勧めされたのでAmazon Primeにて視聴。1960年代ロンドンにタイムスリップした主人公が奇怪な事件に巻き込まれる、という設定があまりに好きすぎた。


あらすじ:ファッションデザイナーを目指してロンドンにやってきた“霊が視える”女性のエロイーズは、夢の中で1960年代のロンドンにタイムスリップをする。鏡に映った自分の姿は、なんと自分達の時代では既に亡くなっている憧れの歌手・サンディだった。次第に入り混じる過去と現在、そしてエロイーズは奇妙な事件に巻き込まれていく。


1960年代のロンドンは、文化・流行の最先端であり、華々しい街だった。しかし、その実態は女性にとって過ごしやすい場所ではなかった。芸能界に横行する枕営業、自分たちを見る男たちの卑しい目線。そう言った物に消費され、悩まされたサンディ(エロイーズ)は心に深いトラウマを抱えてしまう。


トラウマに悩まされ続けたエロイーズは、現実世界でもサンディの霊を見るようになってしまう。彼女は、どうして自分がそんな夢を見るのか調査を開始した。その結果、驚くべきことが判明したのだ。


――以下本作のネタバレ――


実は、サンディは死んでいなかった。つまり、エロイーズは存命の人物の幽霊を見ていた事になる。これは矛盾しているのではないか、と僕は考えた。


だが、本作のメッセージを整理してみると、そう難しい問題でもなかった。サンディはやっぱり死んでいたのだ。自らを表現するため、何より自由であるために舞台に立っていたサンディは、芸術に無理解な男たちの抑圧に殺されてしまったのである。


有力な男性に従わないサンディを周囲は追い詰め、否定し、舞台から追い出した。その時に“表現者”としてのサンディは死んでしまったのだろう。そして、その無念から“夢”だけが独立して亡霊になった。心臓が止まる事だけが『死ぬ』事では無い。本当の死とは、精神が肉体から離れてしまうくらい、自分の在り方を揺るがされた時なのかもしれない。名作だった。


追記:主人公の彼氏以外の男が人間的にダメ過ぎた。監督はおじさんが嫌いなのかもしれない。

9月に見た映画の感想

Comments

今月の映画だ!英国王のスピーチ、面白かったですね。 セレビィがしわしわになる所がちょっと怖かったので小さい頃からよく覚えてます。でも特別公開のことは初めて知りました。すごい!見てみたかったな〜〜

墓薙


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