僕は、ここ二年で四本のマーダーミステリーを作成している。
それぞれの文字数は、おおよそ十万文字以上だ。
つまり、僕はマーダーミステリーだけで五十万文字以上を書いてきた訳である。
五十万文字がどのくらいの文字数かと言うと、京極夏彦の『魍魎の匣』がちょうど五十万字くらいらしいので、結構な文量を書いていると言っても良いだろう。
まぁ、処女作となる機械島奇譚を発売してから、既に二年と少しの歳月が経過しているわけだが。しかし、それだけ執筆していると文章の書き方も変わってくるものだ。
最近、配信卓などで機械島奇譚や屍人村奇譚の文章を見るたびに、「今の僕だったら絶対に書かない文の書き方をしているなぁ~」と思うようになった。
これは、技術の巧拙の話だけではない。
最も大きいのは『情緒的な文章』か『写実的な文章』か、という違いだ。
この、『文章の違い』について考えていると、ある理由が思い浮かんできた。
それは、『マーダーミステリー』というゲームへの理解度の違いだ。
『機械島奇譚』を書いた当時の僕は、マーダーミステリーの書き方を何も知らなかった。オフラインマダミスを魔王城でプレイしていたため、ゲームの中にどのような文章が存在するのは理解していたが、ゲームの中でどのような文章が『必要』なのかを理解してはいなかった。
何を書けば、ゲームの流れとして成立するかを肌感覚で理解していなかったのだ。
そのため、当時の僕は文字の機能性より、情緒性を重視した文章を書いていた。
このように当時を振り返っていると、今の創作と昔の創作で、様々な『違う点』が見つかった。
◆◆◆◆
今では少し作文方法を変えたが、機械島奇譚を書いていた頃の僕は、自分で想定されるルートを幾つも組み上げて、それら全てに矛盾が生じないように綿密にフラグを潰していく……というような作文方法を取っていた。
しかし、この作業はとても大変だ。何せ、どこかを変えればそれに関わる全てを変更しなければいけなくなる。綿密に考えたゲームプランが、一つの違和感を潰すためにひっくり返される可能性があるというわけだ。
わかりづらいことを言ってしまったので、わかりやすい例えをしよう。
例えば、『館モノのマダミスを作ったぞ!ここの犯人の移動するルート、ちょっと違和感あるから変えたいな』と考えたとしよう。
そうした場合、『犯人のルートが変わる』ことによって、下記の事態が発生する。
・犯人側と探偵側で情報の平等性を保つために、他の人間が変更後のルートを見ないように修正しなければならない。
・他の人間のルートを変えた際に発生する違和感を修正しなければならない。
・他の人間のルートを変えた際に発生する違和感を修正するために、別の人間の情報を修正しなくてはならない。
・他の人間のルートを変えた際に発生する違和感を修正した際に発生する違和感を修正するために…………(以下、無限ループ)
このように、一つの変化で膨大な修正事項が発生するのである。
当時の僕にとって、マダミス作成は変更と修正の繰り返しだった。
一度作った形を、自分が納得する形に仕上げるため、何度も壊して、直して、崩して、整えて、仕上げ作業をしていく。
僕が、文章を書く時間よりも修正する時間が長いと言っていたのは、これが理由である。ゲームプレイ中の違和感をなるべく消すために尽力していたのだ。
こういった点に力を入れているのは今も変わらないが、マーダーミステリーに対する理解度が上がった今の僕は、もう少し器用に文章を作っている。
◆◆◆◆
何かを作る時に重視する視点は人によって違う。
色々と作品を手掛けていく中で、今でも僕が一番重要視しているのは『違和感のない納得感のあるゲーム体験』だ。
そんなことを考えながら、僕は今日も文章を書いている。
縷々道 生我
2024-08-12 07:56:54 +0000 UTC縷々道 生我
2024-08-12 07:55:46 +0000 UTC蝶々
2024-08-09 07:26:22 +0000 UTC墓薙
2024-08-08 22:52:02 +0000 UTC